2023年5月,
カンヌ国際映画祭で
日本の俳優として2人目となる
最優秀男優賞を獲得した
役所広司さん。
役所広司さんは
日本を代表する俳優のひとりですが、
高校卒業後、
長崎から上京し、
4年間の千代田区役所勤務を経て、
1978年、
22才のときに
仲代達矢の「無名塾」に参加します。
「彼を支えてきたのが、
4才年上の妻・さえ子さんです。
彼女は無名塾の先輩で、
当時は『河津左衛子』の名で
俳優座の中堅女優として
活躍していました。
無名俳優との結婚だけに、
彼女の両親は
とても心配したそうですよ。
最初の住まいは家賃3万円、
8畳一間のアパートでした」
(演劇関係者)
結婚を機に役所広司さんの
人生は一気に上昇に転じます。
結婚して間もなく、
1983年のNHK大河ドラマ『徳川家康』
の織田信長役への抜擢が決まり、
翌年にはNHKドラマ『宮本武蔵』で
初主演を果たします。
1984年に
夫婦で芸能プロダクションを設立し、
現在もそこに在籍。
スケジュール管理も出演の最終判断も、
すべてさえ子夫人が行っているという。
「さえ子さんはまさに
『福の神』です。
さえ子さんは
仕事にもとても厳しいので、
役所さんは彼女の評価を
何よりも気にしている。
彼がこれまで順風満帆に
キャリアを積んでこられたのは、
彼女の愛のムチがあればこそでしょう」
(前出・演劇関係者)
役所広司、その結婚相手は?
役所広司さんが
トーク番組『サワコの朝』で
嫁のことを語りましたが、
役所広司さんの
古くからの知人は
次のように話していました。
「役所さんは、
すごくシャイなので、
特に家族のことは
あまり語りたがりません。
それがテレビ番組で、
珍しく奥さんのことを
かなり長く話していたので
驚きました」
役所広司さんは
いまや日本を代表する俳優ですが、
’82年に妻・さえ子さんと
結婚したときは“稼げない役者”。
さえ子夫人は当時、
河津佐衛子として
活躍していた先輩女優。
結婚について役所本人は、
雑誌のインタビューで
次のように語っています。
「体も弱っていたし、
気弱になっていたし、
女房がそばにいてくれないと
ダメになっていきそうで、
勢いで結婚を迫っていましたね。
好きだったしね。
でも女房は迷ったでしょう。
生活力はないし、
将来のことはわからないし、
酒飲みで酔うとだらしないし、
年下だし。
相当悩んだらしいですよ」
(『週刊平凡』’86年7月4日号)
役所広司の嫁との出会いと
馴れ初めは?
役所広司さんは
1982年に結婚します。
相手は同じ俳優養成所
「無名塾」の女優、
河津左衛子さんです。
河津左衛子さんは
「無名塾」の公募前から
所属しており、
役所広司さんは
後から2期生として入塾します。
「無名塾」では、
修業期間の3年間は
恋愛禁止といわれているため、
おふたりの交際が始まったのは
役所広司さんが入所3年後
と思われます。
結婚して八畳一間
家賃3万円のアパートから
スタートしたおふたり。
その生活から
現在まで共に歩んできた奥様に対し、
役所広司さんは
2009年
“万年筆ベストコーディネート賞”
を受賞した際、
奥様にあてた手紙を読みました。
そこには感謝の言葉が
つづられており、
「君がいてくれたから今の僕はあります」
とも書かれ、
奥様に感謝し信頼している様子が
書かれていました。
役所広司は謙虚で”恐妻家”
役所広司さんの知人の話。
「若いころ苦労をかけたからか、
役所さんは
ものすごい恐妻家なんです。
奥さんは
仕事には妥協は許さない人です。
役所さんはいつも
奥さんの評価に戦々恐々としています。
役所さんの
現場マネージャーには、
関係者の間で“日報”
と呼ばれているレポートの提出が
課せられています。
“何時、○○氏と打ち合わせ。
その後、雑談”
“何時、昼食。メニューは……”など、
マネージャーがこと細かく
1日の出来事をまとめて、
社長である奥さんに
メールなどで報告しているのです。
また不倫愛をテーマにした
映画『失楽園』は、
役所さん本人も
“出演するかどうかを奥さんに相談した”
と語っていました。
日々のスケジュールから、
どんな仕事を受けるかも、
さえ子夫人が
しっかり管理しています。
役所さんの成功は、
もちろんご自身の努力の賜物です。
しかし半分は、
さえ子さんの功績
ともいえると思います」
役所広司、夫婦でCM出演
それまで食えない無名俳優
だった役所広司さん、
結婚1週間後に
出世作となった
NHK大河ドラマ『徳川家康』
の織田信長役が決まります。
これも役所広司さんの知人の話。⇓
「役所広司さんは
『結婚祝いで役をらったようなもの』
と語っていましたが、
実力、存在感はずば抜けていましたし、
世間に気づかれるのは
時間の問題でした。
その才能に
一番最初に気づいたのが
左衛子夫人だったのかもしれません。
一躍人気者になった
役所はCMにも引っ張りだこで、
’83年には夫婦でカレーのCMに出演します。
このCMで
嫁の左衛子夫人が
ステキに可愛く美人
なのにびっくりします。」
妻が事務所社長を務める
俳優が成功する理由
11月22日の“いい夫婦の日”
にちなんで、
毎年「いい夫婦の日」
をすすめる会が選出する
理想の有名人夫婦
『いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー』。
これまでに
結婚50周年の西川きよし・西川ヘレン夫妻、
結婚20年目中山秀征・白城あやか夫妻、
結婚35年目を迎えた
役所広司・さえ子夫妻たち。
役所広司さんは、
出演中のドラマ『陸王』(TBS系)
での熱い演技はネットでも話題で、
第5話の平均視聴率、
16.8%の自己最高を記録しています。
役所広司さんの知人の話。⇓
「役所が一躍脚光を浴びたのは
NHK大河ドラマ『徳川家康』
(1983年)の織田信長役でした。
当時の役所にとっては、
まさに大抜擢。
その翌年、
役所は夫妻で個人事務所を設立、
さえこ夫人が社長を務め、
現在も役所のスケジュールから、
マネージメントまでを取り仕切っています。
’09年に
『万年筆ベストコーディネート賞』
を受賞した際、
役所は大切な人へ贈る
ありがとうのメッセージとして、
さえ子夫人に
『君がいてくれたから、
今の僕があります』
と照れながらも
愛情たっぷりに読み上げました。
今でも、
その信頼は揺るぎないものです」
同じく妻が事務所の社長を
務めているのは
高橋英樹や遠藤憲一。
高橋真麻が
『スッキリ』(日本テレビ)で
両親の結婚当時の
エピソードを語っています。
「高橋は結婚当初、
独身時代に作った
1億円近い借金があったそうですが、
亜紀子夫人は
『借金も財産のうち。
貸してくれるということは、
この人にそれだけの価値が
あるということ』と、
一生懸命やりくりして
返済したそうです。
その話を聞いた真麻は、
『私はそれできないな、
母はすごい』と」
高橋英樹夫人亜紀子さんは
「趣味は家族」というほど、
今もラブラブで、
現在は夫と娘の
事務所社長として、
取り仕切っています。
上川隆也も事務所の社長は妻で、
こちらも高視聴率ドラマに
欠かせない存在の俳優。
大物俳優の陰には
内助の功が欠かせないのか……。
「まず、
ギャラのすべてが入るので
多少安くても
仕事を引き受けるので
仕事が途切れない。
起用する方も直接交渉しやすく、
大手のような
派閥がないのでキャスティングしやすい。
万一スキャンダルがあっても、
妻が対応するので大事にいたらない(笑い)
といったメリットもありますが、
やはり夫のことを一番よく理解し、
考えている妻だからこそ
ということが大きいです」
(芸能関係者)
『男は妻から』とは名言です。
まとめ
役所広司さんの
嫁についてリサーチしました。
俳優養成所「無名塾」で
嫁は二年先輩、4歳年上。
塾のルールで
入塾後三年間は
恋愛禁止を経て4年後に結婚、
新婚当時は
六畳一間、
家賃3万円からスタートし、
その後ブレークした
役所広司さん、
日本アカデミー賞
主演男優賞を実に20回も受賞し、
そして2023年には
世界3大映画祭の1つ、
フランスのカンヌ映画祭で、
最優秀男優賞を受賞しました。
嫁は結婚後女優を辞めて
事務所社長になりますが、
’83年には
夫婦でカレーのCMに出演しています。

